<「サロン(土)教師」で教師文化を創造・伝承しよう>

 まずは学校(職場)ごとにサロンが立ち上がることを期待する。あるいは、職場は違う仲間がいるならば、学校単位(職場単位)にこだわらず、興味や関心の同じ教師が集うのもよい。立ち上げは若手だけでもよい。はじめは職場のサロンだったものが、次年度は転任した人が来れば、いつの間にか複数の学校の教師たちのサロンになることもあるだろう。私のような退職者も仲間に入れてもらえると嬉しい。あまり硬く考えないことだ。

 例えばテニスの仲間なら、年に一度くらいは「テニス旅行」などが具体化してくると楽しい。飲み会やグルメの会などの計画が出てくるかもしれないし、たまには異業種の人に来てもらってテーマを決めた座談会にしてもいい。毎回となると誰かの負担になるので、そういったイベントは半年か1年に1回くらいにしたい。
 「サロン(土)教師」があちこちに生まれ、相互に交流というのも楽しそう!そうした教員コミュニティー=教員サロンを基盤に教師文化が伝承されることを願っている。

 この「教育万華鏡」はそういったサロンへの話題提供ができるよう、カテゴリー「教師・研修」編はとりあえずここまでにして、次回からは、カテゴリー「指導・授業」編を書いていきたい。

<「サロン(土)教師」のコミュケーション手段はネットがよい>

 教師文化を伝承し発展させるサロン(=コミュニティー)を作るためには「機能的なコミュケーション手段」が必須と思う。忙しい日常ではなかなかコミュニケーションがとれないわけだから、「集まろうよ」という呼びかけすらままならないのが実情である。

 そこで提案したいのはネットの利用である。携帯メールが簡便でよい。グループへの一斉メールの機能を活用するのもよい。可能ならばメーリングリストやSNS、ブログの共有と言う手段もある。でもネットでの連絡方法にこだわってはいけない。年配の教師の中には苦手な人もいるからである。ネットが苦手な人には、個別にコミュニケーションをとる。電話も併用し、連絡経路(AさんにはBさんから、と言うようなこと。)が一定になるようだとベターであろう。

但し、ネット上での“議論”は避けたい。誤解によるトラブルを招きやすい。あくまでも、集合日時や場所の連絡のみに留めないといけない。参加・不参加の表明も避ける。教師にはまじめな人が多いので、連絡することに負担感を感じる人が出てくるからである。世話人はいたほうがよいが、組織的にはしないことだ。あくまでも、「土曜日にそこへ行けば仲間と談笑できるか・も・し・れ・な・い・サロン」であればよい。

 特にサロンが定着するまでの時期には、ネットによるコミュニケーション手段がとても有効なはずである。そしてサロンが定着し、盛り上がって「イベントをやろうよ」となった場合には、さらにネットがなくてはならないツールになっていることであろう。

<「サロン(土)教師」を提案します>

 教師文化を伝承し発展させるコミュニティーを作りたいものである。“コミュニティー”というと多人数のイメージがあるので、“サロン”と呼んだ方が良いと思う。教師の“サロン”を作るためには、「意識的な時間作り」と「機能的なコミュケーション手段」が必須と考える。

 「意識的な時間作り」は、土曜日を提案したい。始めは2人でも3人でもよい。月1回から始めるとよい。雑談のために集まろう。場所は職場である学校でもよいし、誰かの自宅でもよい。このとき、お茶とお菓子があればグッドである。喫茶店でもよいし、テニスコートやボーリング場でもよい。遊びながら雑談したい。大切なのは定例化することである。例えば、「毎月第1土曜日に学校へ行くと、誰かが来ていて談笑できる」ようにしたい。始めのうちは誰かが毎回意識的に出ていないと定着しない。そのうちきっとその日に仕事を兼ねて出てくる人も現れる。仕事をしながら、あるいは時間を決めてティータイムを作ればよい。このような数人の教師の集まりを「サロン(土)教師」と名づける。

 場所について、「学校で」と言うのはメリットも多いけれどデメリットもある。ついついその土曜日に仕事を回してやっぱり忙しかったり、電話や来訪者で仕事が増えてしまったりするかもしれない。ものは考えようで、それはそれで時間のゆとりが出来たり、来訪者とのコミュニケーションがとれたことをプラスに考えることもできる。

 2つ目の「機能的なコミュケーション手段」については次回に語ろう。

<文化伝承の基盤となる教師コミュニティーを創造したい>

 「文化」は人間のコミュニティーの中で生まれ、育まれ、伝承される。

 50年位前までは、都市部と言えども地域コミュニティーの文化があった。人間的なモラルや人情もその中で伝承された。地域には盆踊りや、お祭り、運動会、ハイキングや旅行会などもあった。子供会活動も活発だった。その後、だんだん地域コミュニティーは力を失い、職域コミュニティーが隆盛した。会社単位での運動会や家族を伴った慰安旅行などもあった。

 今考えてみると、職場としての学校も、こうした社会の流れに沿っていた。私が教師になり家庭を持ったころの学校は、教師にとっては職域コミュニティーであった。教師同士互いの自宅へ遊びに行くこともあったし、職場の仲間と家族ぐるみでバーべキューを楽しんだこともある。気心知れた少人数で出かけるのではない。職場のたくさんの教師が参加したのである。マイクロバスをレンタルしてリンゴ狩りにも出かけた。スキーやテニスの旅行もあった。
 学校文化、教師文化はこのような職域コミュニティーとしての学校という職場で伝承された部分も大きい。

 現在では、趣味が多様化し、個性の尊重や、個人の自由、プライバシーの尊重などが叫ばれ、良い意味での公私ごちゃ混ぜのコミュニティーは存在しにくくなった。職域コミュニティーとしての学校も例外ではない。それはそれで歴史の流れであるので逆流はしない。それでも何とかして教師文化を伝承してほしいと願うのである。そのためには文化の育成伝承基盤としての新しい教師コミュニティーを創造する必要があると思うのである。

 次回はその具体化を提案したい。

<ベテランは新しいことへの対応が苦手です>

 教師文化伝承の妨げになっているのは、時間と年齢構成上の問題だけが原因ではない。50歳代の教師たちは、自信をもって自分達の教師文化を伝承するよりも、逆に若い世代に教えてもらうことが多くなっている。

 主にコンピュータなどのICT活用だ。昨今は、学年便りなどの各種文書の作成も、教材研究や教材作成でさえもがICT技術が欠かせない。変化の激しい社会にあって、教育に関する新しい情報もネットから手に入れることが多い。環境教育、国際理解教育(小学校英語活動)、情報教育、福祉教育、キャリア教育、自然体験、特別支援教育、心の教育などなど。つまり自分の専門教科やこれまでの教科の枠からはみ出た指導領域がどんどん追加され、学校や教師への期待が無限大に増加している状況なのである。
 新しいことへの対応は、年配教師はやはり若手の教師にかなわない。どちらかと言うと若手がリードして行われることが多くなる。
 
 このような状況の中で、ベテラン教師たちは自分達の身につけてきた教育観や教師観を、自信をもって語りにくくなっているのだと思う。本当は、そう言った新しい事象の基礎にある教育の原点や普遍的な教育観を、自信をもって伝えて欲しいのではあるが、現実には難しくなってしまっている。

 ここにも、学校文化、教師文化の伝承が途切れそうになっている要因がある。

私がよく見るブログを紹介します

 よく見るブログはやっぱり教育関係が多いですね。主なものを紹介します。


「情報教育とこじまん」
http://kojiman.cocolog-nifty.com/manabi/
情報教育について、レアな情報を発信してみえます。


「近況報告nariken.com」
http://nariken.cocolog-nifty.com/daily/
腎移植をされてから、ますます精力的に活動中です。
情報教育、移植関係、その他幅広い内容です。


「トンボの空」
http://tombow.exblog.jp/
教育、社会事象、山岳、自然環境などなど、守備範囲が広く、独自の視点で情報発信して見えます。


「メディアと教育を考える」
http://horitan.cocolog-nifty.com/nime/
教育の情報化について、日本を代表する研究者のブログです。


「姫先生のおめめ」
http://blog.goo.ne.jp/hime1961
日本ぶろぐ村 教育論 教育問題カテゴリ 第1位です。
NLP心理学、コーチング、メディアリテラシーなど。

<学校現場に中堅がいない>

 皆さんが勤務する公立小中学校の教師たちの年齢構成は、どのようになっていますか?20歳代あるいは30代前半と50歳代が多く、中間年齢層が少なくはありませんか?多くの学校で中間年齢層が少ないひょうたん型の年齢構成になっています。
 この現象には歴史的社会的な理由があります。団塊ジュニアの就学時期の教員増。少子化による教員減。学級定員減や教員定数の改善進行による教員増。社会状況も含めた諸々の事情です。昨今は教員採用試験応募の年齢制限は緩和されてきていますが、かつて、多くの教育委員会では、新卒者あるいは若い人を優先して採用してきたことも影響しているのではないかと思います。いずれにしろ2009年の現在では、30代後半から40代くらいの教員割合が少ないのが多くの学校の現状でしょう。

 各学校のこの年代の教員たち、すなわち中堅のところへは当然のようにたくさんの重要な仕事が集中します。人数が少ないのですから一人の負担は重くなります。また、この中の多くの人には近い将来(あるいはすでに)教務主任、研究主任、教頭、校長など重要ポストについてもらわなくてはなりません。責任ポストについてもらうべき人の割合は、人数が少ないがゆえに高くなります。この人たちには、その学校内だけでなく教育界全体をリードしてもらう為の勉強も期待されます。
 こうしてみると、今の中堅の教師には、そうとうの負担がかかっているのが実情でしょう。若い人と一緒に仕事をしながら、私的な交流をも含むきめ細かい対応で若手を育てていくゆとりはないように思います。

 こういった現実も、教師文化伝承の妨げになっているのではないかと思います。