<先生に嘘ついた>

 10年くらい前のある日、卒業生から電話がかかってきた。私の自宅へ遊びに来たいと言う。交通経路を教え、日曜日に迎えた。SさんとTさんの女子2名である。

S:先生、今日は謝りに来たの。
私:ん?何を?
S:5年生の2学期のころ、先生に嘘ついた。
私:何のこと?
S: 学校の帰りにお菓子買って食べた。先生に「下校途中で買い食いしたのか?」って聞かれて、「してない!」って嘘ついた。そしたら、「そうか。それならいいけど、嘘が平気になると嘘だらけの生き方しか出来なくなって、周りから信用してもらえない人間になっちゃうからな。これからも嘘だけはつくなよ。」って言いながら、信じてくれた。でも本当はTさんと買い食いした。嘘ついたことずっと気になってた。

 その“事件”から2年もたっていた。子どもなりに気にしていたようだ。当時のことを私は覚えていた。他の子どもからいわゆる告げ口があったのである。私は、この子たちは買い食いをしたのかもしれない、と思った。しかし問い詰めることはせず、正直に生きることの大切さを話して終わった。

 子どもを信じ、ふだんのラポールができていれば、指導はきっと子どもの心に届いている。教育の成果は、指導してすぐに現れるものばかりではない。心に届く“指導”を心がけたい。成果は、卒業後であったり、10年後であったりする。いや、ほとんどの具体的指導は、目に見える形の成果とはならない。日々の指導が、子どもの心に届いていることを信じて、今日の教育活動に取り組みたいものである。

 目標管理評価法が、教師の自己評価として取り入れられようとしている。全面否定はしないが、評価結果は自分の教育活動のホンの一部の評価でしかないことを確認しておきたい。