<版画用紙はどっちが表?>

 版画の刷り紙は通常、和紙のような吸湿性のある紙を使う。つるつるの面とざらざらの面があるのが普通だ。さて、刷るときにはどちらの面を使うのが正解か?
 正解などない!ことは表現の目的と方法の関係である。A面で刷ればこんな感じ。B面だとこんな味わい。さー、君はどっちで刷りたい?どっちが好き?大切なのは違いを感じる感覚を養うことである。それは制作活動が終わった後でも良い。制作のときは気にせずどちらでもよいと思っていた子や間違えて刷ってしまった子もいるであろう。でも鑑賞活動の中で、味わいの違いに目を向けることができれば、それでよい。
 「こっちが表、だからこちらで刷りなさい。」という指導は、教育の中で文化の伝承と言う側面。「こっちが表だけど、裏で刷ると違う感じになるかも。やってみる?」と言うのは、過去の文化を伝承しつつそれを発展させる力を育成する側面。

 「教育」には相反する2つの目標がある。「人類文化の伝承」と「過去の文化を打ち破り、それを発展させていく力の育成」である。

 但し、版画の刷り紙の話は20年も昔の話であり、今では既に伝承の部類でしょうね。

<持ち物管理は置き場所を決める>

 雑然と物が散らばり、整とん出来てない教室環境は、子どもの心を落ち着きのないものにしていく。雑然とした環境に慣れてしまうと、集中力に欠けたり、集中力が持続しなかったりする。そして、そのことに担任教師も含め自分たちは気付かない。

 ある教室に入ったとき、持ち物などがきちんと整理され、机の並び方も整然としていた。子ども達は背筋をピンと伸ばして座り、活発な学習活動を展開していた。全員が学習課題に真剣に取り組んでいる。きちんとした学級経営が出来ていることが、誰も目にも明らかである。
 教室の掲示物はきちんと整理してはってあり、四隅の画鋲すら美しいと感じさせられた。習字道具はロッカーの上に人数分が整然と並んでいる。教室の隅に目をやると、子ども達の水筒が班毎の段ボール箱に整理されて並んでいた。「整とんしなさい!」と大声で怒鳴るより、置き場所を明示することのほうがきちんとできる。これなら水筒の持ち帰り忘れも減るだろうと感じた。

 きちん整理整とんされた教室環境は、子どもの心を落ち着かせ、安定させる。当然、学習成果も期待できる。

<“一人一鉢栽培活動”の“ねらい”は?>

 一人一鉢の栽培活動がある。文字通り児童それぞれが自分の植木鉢で自分の植物を育てる活動である。
 さて、子ども達は、はじめは一生懸命世話をするのだが、1週間、10日とたつうちにだんだん世話をしない子が出てくる。見にも行かなければ水もやらないのである。担任はどうすればよいか?

 A先生:グループで当番を決めて、順番に水遣りをさせる。
  B先生:気がついた子が自分の水遣りのとき、忘れている子の鉢にも水をやるよう指導する。
  C先生:しおれていることをその子に教えてあげるよう指導するが、水遣りはあくまでも本人の責任とする。

 実際にはこのほかにもいろいろ対応は考えられる。大切なことは、「どんな“ねらい”で
一人一鉢の栽培活動をしているか」にかかっている。
 A先生は、グループ活動を重視して、助け合うことを学ばせたいと考えたのかもしれない。
B先生は、個性を大切にしたいと思い、植物の世話ができない子は他のよい点を伸ばしてやることとして、毎日植物の世話をする子の優しい心を育むことを第一にしたいのかもしれない。
C先生は、この活動を通してあくまでも一人一人の責任感を育てたいと考え、枯れてしまったときに本人に指導したいのかもしれない。
 表面上は同じ“一人一鉢栽培活動”でも、“ねらい”によって指導は異なるはずである。教育活動の“ねらい”に照らし、学級集団や子どもの実態に即した指導が必要である。

<宿泊行事での夜の見回りの目的は?>

 私の教師生活のスタートは高等学校である。生活指導に苦労の多い学校であった。修学旅行で夜の見回りをする。その目的は何か。私が一番初めに思ったのは「タバコ」である。火の不始末から火事にでもなったらたいへんである。次が花札、トランプなどでの「賭けごと」である。無断外出もありそうだ。

しかし、先輩の教師から言われたのは「寝冷えさせない」健康管理であった。もちろん、喫煙や賭けごとなど、生活指導上の管理は大切である。しかしもっと大切なことは、親御さんから預かってきている子ども達の安全と健康なのである。先輩教師にそれを指摘された時、私は恥ずかしかった。子どもを信じ導くために教師になったはずであった。いつの間にか、目の前の喫煙、万引き、暴力など問題行動の対処に追われ、度重なる生活指導にばかり振り回されているうちに、教師としての原点を見失っていた。

 全員がちゃんと揃っているか、寝冷えしそうな様子はないか、体調不良の子は居ないか、それを見て回るのが夜の巡回なのである。小学校でも中学校でも、宿泊行事での巡回の本義を見失うことなく勤めたい。

<先生に嘘ついた>

 10年くらい前のある日、卒業生から電話がかかってきた。私の自宅へ遊びに来たいと言う。交通経路を教え、日曜日に迎えた。SさんとTさんの女子2名である。

S:先生、今日は謝りに来たの。
私:ん?何を?
S:5年生の2学期のころ、先生に嘘ついた。
私:何のこと?
S: 学校の帰りにお菓子買って食べた。先生に「下校途中で買い食いしたのか?」って聞かれて、「してない!」って嘘ついた。そしたら、「そうか。それならいいけど、嘘が平気になると嘘だらけの生き方しか出来なくなって、周りから信用してもらえない人間になっちゃうからな。これからも嘘だけはつくなよ。」って言いながら、信じてくれた。でも本当はTさんと買い食いした。嘘ついたことずっと気になってた。

 その“事件”から2年もたっていた。子どもなりに気にしていたようだ。当時のことを私は覚えていた。他の子どもからいわゆる告げ口があったのである。私は、この子たちは買い食いをしたのかもしれない、と思った。しかし問い詰めることはせず、正直に生きることの大切さを話して終わった。

 子どもを信じ、ふだんのラポールができていれば、指導はきっと子どもの心に届いている。教育の成果は、指導してすぐに現れるものばかりではない。心に届く“指導”を心がけたい。成果は、卒業後であったり、10年後であったりする。いや、ほとんどの具体的指導は、目に見える形の成果とはならない。日々の指導が、子どもの心に届いていることを信じて、今日の教育活動に取り組みたいものである。

 目標管理評価法が、教師の自己評価として取り入れられようとしている。全面否定はしないが、評価結果は自分の教育活動のホンの一部の評価でしかないことを確認しておきたい。

<中央本線で岐阜へ行きました>

 私自身が小学校5年生の時の話である。当時の国鉄の主な線の名前を覚える学習があった。
   先生:「中央本線に乗ったことある人は?」
   私 :「はい。岐阜の従弟の家に行くとき乗りました。」
   先生:「残念。それは東海道本線だね。」
 私は納得いかなかった。絶対自信があったので、悔しかった!とても悔しかった!確かに中央本線に乗ったのである。この事件?の原因に気が付いたのは、中学生くらいになってからであった。私の従弟は瑞浪市にいたのである。岐阜県瑞浪市へは中央本線で行く。教師が問うた岐阜は「岐阜市」のことであったらしい。
 あの悔しさは、自分が教師になってからも忘れていない。子どもの発言は、たとえ間違った発言の中にもその子なりの理由があるはずである。その子が、なぜそう答えたのか?いつもその理由を想像しながら対応できる教師をめざしたい。

<水を100℃以上にしよう!>

 4年生の理科の「水の温度」という単元の学習が終わった。職員室に戻り、何気なく隣の先生に「やっと水の温度の単元、終わった。実験結果もきちんと出たし、きっと理解してくれたと思うわ。」と話しかけた。すると「そうかなー?テストでは正解するだろうけどほんとに納得したんだろうか?『なんとか100℃以上にする方法はないか?』なんて問いかけたら、いろいろ言うかもね。」とのコメントである。その先生は、理科が得意なベテランの先生である。

 次の時間、改めて問うてみた。「ほんとに100℃以上にならないのだろうか?」始めはいわゆるよくできる子や、塾に行っている子が、「あったりまえだが。水は100℃以上にならないの!」と言う。しかし、「火を強くするともっと熱くなるかも。」「鉄はものすごく熱くなるから鉄の鍋なら100℃以上いく。」「熱が逃げないように蓋をすればいい。」などの意見が出始める。私は「よし、じゃー、100℃以上にする実験方法を考えてごらん。道具は学校にあるものだけだよ。」と言ってそれぞれに考えさせた。
・ ビーカーではなく金属鍋で加熱する。
・ 蓋をする。
・ ガスバーナーを2本にする。
・ ガスバーナー2本だけど1本は隣のガス管につなぐ。(同じ管からの二股では火力が弱いから)
・ 家庭科室のガスコンロで加熱する。
などなど、意見百出。塾で先に習い、前の時間には冷めた表情で実験に参加していた子も、必死で考えている。取り組みたい実験方法が同じ子でグループを作り、実験に取り組むことにした。成績優秀な子も、勉強嫌いな子も関係ない。実験に取り組む姿勢は、嬉々としていた。

 「水は100℃以上にならないことを確かめる実験」と「100℃以上にする方法を工夫する実験」。これだけの問いかけの違いで、子どもの取り組み方はおおいに変わり、塾での知識学習も吹っ飛んでしまった。単元の学習時間を2時間もオーバーしたのだが、子ども達は確実に理解し、知識が定着したことを感じた。きっかけを作ってくださったベテラン先輩先生には、本当に心から感謝しながら報告した。